受難

「いひゃい……」
「どうしたの、真琴?……あら」


「お邪魔します」
「ああ、あがってくれ」
水瀬家を訪れた美汐を、祐一が向かい入れた。いつもは玄関まで駆け出てくる真琴が今日は姿を見せない。リビングに入ると、真琴は頬杖をついて窓の外を眺めていた。真琴は美汐の姿を認めると、手を軽く振って見せ、すぐ元の姿勢に戻った。
「相沢さん、何かあったんですか?」
「ん?」
不審に思った美汐は祐一に尋ねた。
「今日の真琴、なんだか元気がないようですが」
「ああ、ああやって静かにしてると、まるで別人だな。物思いに耽りながら窓の外を見つめる、まさに乙女の成せる技だ」
ニヤニヤしながら祐一が揶揄するように言う。その徴発的言動に真琴が祐一を睨みつけた。だが、反論しようとはせず、黙ったままでいる。
「真琴、どうしたのですか?」
美汐の問いかけに、真琴はふるふると首を横に振った。悲しげな表情が、美汐の心を曇らせる。
「一体……」
「口内炎が歯にあたって痛いんだと」
美汐が本気で心配しはじめたのを頃合と見たのか、祐一が種明かししてみせた。
「口内炎ですか……それで喋れないんですね」
真琴が今度は縦に首を振った。なるほど、と納得する。美汐は自らの体験を思い起こした。あのなんともいえない苦痛。ちょっとした拍子に襲い掛かる痛み。だが、会話はまだいい。黙っていればすむことなのだから。それよりご飯を口に入れた時の苦しみといったら――かつて味わった惨劇を脳裏に浮かべ、思わず身震いした美汐はふと思い出した。
「そういえば……真琴にと思って肉まんを持ってきたのですが。口内炎ということでしたら」
「ああ、無理だ無理だ。そうだな、俺達二人で食べるか?」
「まこお゛ぉー、んーっぅぅっっっ!?」
祐一の無慈悲な提案に、真琴が激昂したかと思うや否や意味不明の絶叫をあげる。
「真琴!?大丈夫ですか、真琴?」
慌てて駆け寄る美汐に、涙顔の真琴が(炎症部分に歯があたらぬように気をつけながら)答える。
「にひゅまん、まこほもはべる」
美汐は困惑した。現状ではとても味わう事など出来るはずがないのに。
「沁みますよ。とても」
だが、真琴は納得しない。
「まこほもたべ、ぅぇーっ!?」
またしても自爆。祐一は腹を抱えて笑いを堪えている。

そして頭を撫でながら諭す美汐に、真琴はあくまでも納得しようとはしないまま。
結局、真琴は滝のように涙を流しながらも、意地で肉まんを食べるのであった。

口内炎、痛いっす。とても。
美汐の口内炎体験記はMILLENNIVM MIRABVNDVM NOVVMより。