吉村美代子の転寝


「ただいま」

ハルヒが所用とやらで本日のSOS団活動を早々に切り上げた俺は、特に寄り道をしたりはせずに自宅に帰り着いた。玄関先で靴を脱ぎ、上がろうとしたところで違和感を覚える。うーん、なんだろう。

あたりを見回していつもどおりの玄関であることを確認し、はて何がひっかかっているのだろうと首をかしげた俺は、天を仰いで天井にも異常が無いことを確かめると足元に視線を移し、違和感の原因に気がついた。

ああ、靴か。

今、この玄関には妹の子供っぽいスニーカーが無く、それと気付かなかったのは代わりに見たことがあるような気もするが誰の物か分からないローファーがあったからで、それが誰のものかといえば考えるまでもなく妹の友人のものだろう。客をほっぽっといて、何処に行きやがったんだ、あいつは?

居間を覗いたが人の気はなく、その友人がサンダルでも履いて一緒に外に出ているのでなければ妹の部屋で待ちぼうけを食らわされているのだろうと見当がついたので、さて、一言謝っておいた方がいいかなと考えながら階段を登り、自室のドアをあけると――少女がベッドで寝ていた。


「ええと、ここは俺の部屋だよな?」

自問自答しつつ部屋に足を踏み入れた俺は、その少女――吉村美代子――に歩み寄った。吉村美代子(11)、通称ミヨキチは白のワンピースに身を包み、同じく白い靴下との間にこれまた透き通るような白い素足を晒して、シャミセンを抱え込むようにベッドの上で丸くなっている。まるで猫が二匹仲良く昼寝しているような光景だが、いつまでも子供っぽい我が妹と比べて格段に大人びているはずのミヨキチの寝顔は意外にもあどけなく、普段とは異なる印象を俺に与えていた。それはやはり年相応というべきなのかなんとも可愛らしいものでまるでミヨキチが実の妹のように思えてくるのだが、そういえば純白の天使である朝比奈さんはもとよりハルヒですら寝てるときはあの奇矯な性格も埋伏するがゆえに俺を和ませることしきりである訳で、やはり少女の寝顔とはかくあるべきかな、うむ。


すうすぅと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っているミヨキチを起こさぬように、そっと鞄をおいてから首元を締め付けるネクタイを緩め、ベッドの脇に腰を下ろす。しばらくミヨキチを観察していると、夢を見ているのだろうか、半開きの口が時折かすかに震え、俺は好奇心の赴くまま身を乗り出して耳を彼女の口元に寄せた。可愛らしい唇から妹やシャミセンの名が聞こえたかと思うとミヨキチは続けてそこに俺の名も追加し、俺が寝顔を注視しながらその意味を考えていると、目が覚めたのか体を身じろぎさせる。

「ふみゅ……」

いまだ半覚醒状態といったところだろうか、ミヨキチはうっすらと目を開いて何度か瞬きする。

「あ、起きたか」

「……はい?」

まだ寝ぼけているらしい。まあ随分気持ちよさそうに寝てたからな。

「……うん……気持ち……いいの」

その瞬間、突然の事態に俺は硬直した。小鳥のさえずりのような声と共にミヨキチがもたれかかって来たのだ。崩れ落ちそうになるミヨキチを反射的に支えると、彼女はしがみ付くように俺の胸元に顔をうずめる。あわてて俺は頬を擦り付けるミヨキチの両肩を掴んで引き剥がした。ふわりと髪が舞い、甘い香りが鼻をくすぐる。

「……ん? ……え、あれ、きゃっ!?」

ようやく意識がはっきりしたようだ。顔を朱色に染め、口元を押えて狼狽するミヨキチを見て何故かほっとする。うーん、これが仮に数年後の成長した彼女であったら5秒と保たずに俺の理性は駄目になっていたかも知れん。

「あ、あの、ごめんなさいっ。わたし、その」

ゆでだこ状態で下を向いたまま、せわしげに指を動かしつづけるミヨキチの姿もなかなか新鮮に感じるが、あまりからかうのも可哀想だ。どうせ妹に引っ張りこまれた挙句俺の部屋で放置プレイの憂き目にあったんだろう。済まなかったな。

首を横に振り、かぼそいささやき声で「いいえ、わたしこそ……」と謝りつづけるミヨキチに俺は苦笑しながら事情を聞くと、妹は切らしたお茶菓子を買いに行ったとの事だった。シャミセンと遊んでいろと一人残されて、猫が気持ちよさそうに寝ている姿を見ているうちに、うつらうつらとして気付いたら俺が居たということらしい。やれやれ。

まあ妹も悪気があった訳じゃないし、これに懲りずにまた相手をしてやってくれないか。俺から言っておくからさ。それにシャミセンも満更じゃないみたいだし。俺がミヨキチの傍らで相変わらず丸くなったままのシャミセンに一瞥をくれると、この猫はまるで俺に賛同するかのようにタイミング良くにゃあと相槌を打った。


ミヨキチはシャミセンに視線を移し、それから上目遣いに俺を見つめていたが、やがていつものような控えめで穏やかな微笑を浮かべると「はい」とささやいてシャミセンを腕に抱いた。

編集長★一直線!は、デートと思わせておいて相手は妹の友達だよというオチを煙幕に使いつつ、やっぱりミヨキチにとってはガチでデートというお話に読んだ。