夢であえたら

春眠、暁を覚えず。
とかくこの季節は眠い。季節を問わず授業中に寝てばかりいるじゃないかという無粋なツッコミもあるが、今は授業中でもなければ教室に居るわけでもないのさ。それでは、ここは何処なのかというと、さて、一体何処なのだろうね?

……

どうやら昼寝をしていたらしい。
心地よい眠りから目を覚ました俺は、自分がテーブルに突っ伏した姿勢でいることをぼんやりと自覚した。腕の隙間から団長席と元コンピ研のハイスペックマシンが視界に入る。ああ、俺は文芸部室で寝ちまったのか。目を開けたものの、俺は起き上がる気力も湧かずに欠伸ともため息ともつかぬ音を肺から押し出した。まだ意識はハッキリしない。眠っている間に何か夢を見ていたような気もするが思い出せなかった。と、視界の隅で何かが動くのを捉える。そちらに目を向けると、制服の上からカーディガンを羽織ったショートカットの少女が窓の傍らに座っていた。本をひざの上で開いたまま、俺を見つめている。

両目を覆うレンズ越しに漆黒の瞳を見つめ返すと、少女――長門有希――は視線をさっと本に落とした。微かに身じろぎする長門の姿に、ああ、俺はまだ夢を見ているのだと悟った。何故かと言えば俺の長門はもう眼鏡をかけてないし、動揺を露にしたりはしないからな。いやもちろん、長門がはっきりと解るような感情表現をするのに異存がある訳ではない。あるはずがない。俺は、あいつが今ここにいる長門のように、恥ずかしがったり怒ったりなにより微笑んだりする姿が見られたら良いと心から願っているのさ。

視線を浴びてもじもじする長門を眺めていた俺は、脳裏に二人の長門をダブらせて、俺の世界の長門が浮かべる表情を想像しようとしたところで、その必要が無いことに気付いた。なにしろ同じ顔をしているんだからな。

「なあ」

「なに」

俺はうつ伏せのままぼそぼそと語りかけた。

「長門はさ、コンタクトにしようとかは考えたことないか?」

「どうして」

いや、そっちの方が俺の好みってだけなんだが。

「……わたしの眼鏡には度が入っていない。伊達眼鏡」

長門はしばしの沈黙の後、俯いたままポツリポツリと言葉を紡ぎだした。

「わたしは人と話すのが苦手。人と目を合わせるのも」

つまりその眼鏡は自分と他者とを隔てる防御壁って訳か。そいつはちょっとばかり寂しいな。それに勿体無いぜ。

「それは……」

長門は俺の表情を伺うように面を上げて口を開いたものの、二の句を継げずに固まっている。長門の顔をじっくりと観察すると、浮かべている表情に惧れと戸惑いと恥じらいが混淆しているのが見て取れた。半覚醒に近い事もあって俺の言い様は遠慮が無いかもしれなかったが、俺の言葉一つ一つに敏感に反応する長門ははっきりいって結構ツボだった。だが、あまり調子に乗ってこれ以上いじった挙句暴走されても困るので、このあたりで黙って見守ることにする。

カップラーメンが出来上がる位の時間が経過する間、顔を上げ下げして百面相で俺を楽しませていた長門は、頬を朱に染めながらも、ついに眦を決して俺を見据えた。

「あなたと二人のときだけ」

そう宣告すると、長門は瞳を閉じて両手を眼鏡のツルにかける。やはり抵抗があるのだろうか、しばしの逡巡の後におそるおそるといった風情で眼鏡を外していくのだが、長門よ、意味深に捉えたくなるような言葉といい、もったいぶった動作といい、不安げな表情といい、狙ってやってるならたいしたもんだが、勢いにまかせてさっさと済ませたほうが楽だぞ。などと俺は言ってやったりはせず、長門が目を瞑ったままなのをいいことに、その表情を遠慮なく堪能していた。

何かを待っているかのような姿勢で固まっている長門を眺めているとなにやらおかしな気分になりそうだが、こっそり忍び寄って不意打ちでキスなんてしたらこの長門は卒倒するに違いなく、それはそれで楽しい展開かもしれないがそれだけでは済まなさそうな予感がしたので結局俺はその案を実行に移すことはなく、長門はたっぷりと時間が過ぎるのを待ってようやく眼を開いた。視線が交錯した瞬間、長門は頬を更に赤く染めてうつむく。

やっぱり眼鏡は無いほうがいいぞ。

更に首筋までもが赤くなる長門におもわずクラリと来た俺は、今更のように身を起こそうとして、比喩でもなんでもなく目がくらんだ。再び意識が遠のきかけ、体が思うように動かない。急速に重くなりつつある瞼をなんとか開いて、長門を凝視する。せっかく珍しいものを拝んでいるのに、もったいない……もう少しくらいいいじゃないか。夢は減るもんじゃない……。眼鏡無しの長門がうっすらと微笑む姿をかろうじて捉えながら、

俺は再び眠りに落ちた。



……

どうやら昼寝をしていたらしい。机に突っ伏した姿勢で固まっていた俺は目を開くと、定期的にページを繰る長門の姿をぼんやりと見つめていた。

「なあ」

「なに」

俺はうつ伏せのままぼそぼそと語りかけた。

「長門はどうして眼鏡なんかかけていたんだ?」

「……それは禁則事項

消失長門からも眼鏡を奪った自分は一生許されそうにない悪寒。
でもね、でもね、眼鏡を外す瞬間萌えという1分派から(キョン君を)勧誘するというのも布教方針としてはありかな、と。