涼宮ハルヒの断罪

「じゃあ、明日は10時にするーっ?」
「うん。それでいいと思う」

今日も今日とてSOS団のお勤めを終えて帰宅した俺が喉の渇きを癒すべくリビングに足を踏み入れると、やたらテンションの高い声と控えめな声が耳に入った。

「やあ」

俺がドアをくぐりながら手を上げて挨拶すると、会話をしていたうちの片割れの少女がぺこりと頭を下げ、小鳥のさえずりのような声で、

「お邪魔しています」

俺は少女のどこまでも控えめな声と物腰に目を細め、それから可憐な美少女との安らぎに満ちたひとときを妨害するかのように腕部に突然発生した加重に胡乱な視線を向ける。

「キョンくん、おかえりー」

どこまでも騒がしい声で俺を迎えたのは言うまでもなく我が妹であった。俺は上げた手を反対側の腕にまとわりつく妹の頭に下ろす。コラ、重いぞ。いつまでしがみついているつもりなのか。

「わっ、やめてー」

わしゃわしゃと頭をかき回す俺の手から身をよじって逃れた妹は、そのままウリ坊が猛々しく突き進むかのような勢いで客人の少女――ミヨキチのことだ――に抱きつく。

「ひゃっ」

反射的に両腕で抱きかかえたものの、迷子の子猫に抱きつかれた犬のお巡りさんのようにどうしたものか途方にくれるミヨキチ。クラスの仲良し女の子二人組がソファの上で抱き合っているという事実のみを並べ立ててみればいかにも魅惑のシチュエーションなはずなのだが、にもかかわらず全く俺の琴線に触れないというのはどういう訳だろうか。

「こら、いいかげんにしろ」

ミヨキチが困っているじゃないか。いつまでも子供みたいな真似してるんじゃない。まあ、実際子供なんだが。その一方でミヨキチはというと、妹とは違った意味で小6とは思えないよな。正直言ってクラスメートというより仲良し姉妹にしか見えん。

「なにー?ミヨキチがおねえちゃんになるの?」

なんだその発想の飛躍は。だがまあ、それがいいなら姉妹の契りでもなんでもするがいい。ミヨキチならおまえの姉として申し分ないだろうしな。寧ろこちらからお願いしたいくらいかもな。

「うん、ミヨキチ大人っぽいからクラスでもモテるもんねー」

俺の賞賛の声と妹の同意に、ミヨキチは恥ずかしそうにうつむいた。「そんなことはないです」と否定しながらも、頬にほんのりと朱がさしている。だが、「ミヨおねーちゃんっ」とミヨキチのひざの上で甘えている我が妹の髪を撫で付けてあやしている姿を見る限り、案外満更でもなさそうだった。

「あまりミヨキチを困らせるんじゃないぞ」

俺は一旦自室で着替えることにして、床からバッグを取り上げて階段へと身を翻した。

そういえば妹よ、ミヨキチをお姉ちゃんと呼ぶついでに俺のこともお兄ちゃんと呼んでくれはしないもんかな。





「遅刻、遅刻っと」

時と所は変わって翌日の朝、俺は駅前へと自転車を走らせていた。詳細を述べるまでもなく想像がつくであろう事だが、昨日俺がミヨキチ(と妹)と心温まる交流を深めていると、例によってハルヒからの呼び出しがかかったのである。敗色が濃い戦況下で赤紙を受領してしまった男子文系大卒者が自分の命の価値は一円五十銭と嘆くような気分になったのは当然のことであるが、俺としては毎回遅刻の罰として奢りの刑を課せられている訳で、つまり俺の値段は一円五十銭どころかマイナスということになり、すなわち更に気分が落ち込むのはやむを得ないと言えよう。

そんな訳で、かろうじて集合時間五分前に駅前に到着した俺の目の前には、俺以外のSOS団員がいつものように集結済みであり、これまたいつものように仁王立ちの団長の前に立つと、いつものように「遅い!」と怒鳴りちらすはずのハルヒはどうしたことか口を
なかなか開こうとしなかった。戸惑いながらハルヒの背後に視線を移すと、古泉が不自然なまでにさわやかな笑顔で応え、朝比奈さんは少し困ったような表情で、そして長門の表情からは何も読み取れなかった。

「どうした、ハルヒ?」

何とも言い難い表情を浮かべたハルヒに俺が問いかけると、しばしの沈黙ののち、

「あんた、真性だったの?」
「なんの事だ?」
「ついさっき、あんたの妹さんと偶然あったのよ、そこで」

奇遇だな。そういえば、俺より先に出かけてたっけ。記憶を辿れば、確かに昨日ミヨキチと待ち合わせとかなんとか言ってたような気がする。

「『ミヨキチがあたしのお義姉ちゃんになるんだって』って嬉しそうに話してくれたわ」
確かにそんな与太話をした記憶もある。俺は黙って頷いて同意の意を示し――いきなり襟元を締め上げられた。

「ぐぇ」
「信じられないっ! あんたがろくでなしなのは解っていたけど、よりによって小学生に手を出す変態ロリコンだなんてっ」

俺はハルヒの腕を払おうと手首をつかみ上げる。おいおい、一体何の話だ、そりゃ。周囲の方々が何事かとこっちを見てるじゃないか。あまり変な事を言い出すんじゃない。

「ごまかすなっ! 自分から、ぷ、プロポーズしたんじゃないのっ。妹のお義姉さんになって欲しいとか、妹をダシに女の子をかどわかすなんて……」

プロポーズ? 一体何をどうしたらそんな言葉が――あ?
ひょっとしてアレか? 妹の義理の姉っていうのはつまり、俺の配偶者ってことなのか?

「いくらなんでも小学生相手はヤバイと思わないの? 淫行条例どころの騒ぎじゃないわ、いくら二人が合意してても強姦罪なんだからねっ」

釈明をしようにも、怒髪天をつくハルヒは俺の襟元をMAXパワーで更に締め、俺は声をあげるどころか呼吸すらままならないほどだった。おい、古泉、助けろ……

エアポンプの止まった水槽でのた打ち回る金魚のように口をパクパクと開閉させながら助けを求めて顔をあげると、古泉の野郎はニヤニヤと笑みを浮かべていやがった。コラ、肩をすくめてないで介入しろ。朝比奈さんはというといつものようにオロオロしているのだが、その表情には困惑と悲哀以外の成分が混じっているようにも見える。そして長門宇宙背景放射ほどの温もりも感じられない冷たく澄んだ瞳で見つめているばかりだ。ええと、ひょっとしてみんなハルヒと同じ誤解をしてるのか?

「ああ、もうSOS団から犯罪者が出るなんてっ、嘆かわしいにも程があるわ! 死刑よ、死刑っ!」

即決即執行かよ。再審を要求する……高裁の裁判長はこいつ以外にしてくれ……
薄れ行く意識の中、俺が最後に見たのは顔を真っ赤にして怒っているハルヒの顔だった。